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映画「デスノート」後編見ました [デスノ的]

あれだけ前編に文句を言い、いますごく仕事忙しいのに
結局初日に見に行く私……しかも前売り買ってたりして。
ちくしょー
行ってまず何に驚いたって、地元シネコンのものすごい人です。
一番広い劇場で、しかもレイトの時間なのに満席。
おいおい入場の行列がうずまいてるよ。
この映画館にはたぶん30回以上は通ってるけど、
こんなに人がいるの見たのは初めてでした。
「ハリーポッターの時もこのくらい入ったりするんじゃない?
君がそういうの見ないから知らないだけで」と
適切な突っ込みは入りましたが(笑)
やっぱ前編もヒットして、直前にテレビでそれを見せたのも
強かったんでしょうねー
これだけ人いるし子どもや映画慣れしてない人も多そうだから
こりゃうるさいのも覚悟かなーと思って見たら、
ずっと静かな状況で感激。
エンドロールで席を立つ人もほとんどいなくて、客席のみなさん
グッジョブでした。

そして
正直に言おう
前編の5倍はおもしろかった。
金子にあやまりたくはないけど金子罵ってすいませんでした。

それはね
映画として見たときの映画らしさ、画の美しさとかいったら
やっぱりそういう映画じゃないのはそうなんですよ。
展開や設定の詰めがアレだったりとか(それは原作もそう)
Lの捜査本部やいろんな背景が平たくて特撮みたいですねとか
細かいこと言い出したらキリないし。
でも、人に見せるうえでおさえるべき基本、前編でもっとも
腹立たしかった、これちゃんとやる気だして作ってんの?という
印象がすっぱり消えていたのでよかったです。
もちろん、自分が今回の後編にまったく期待してなかったぶん、
好印象上乗せというのはあるのですが、作り手の気持ちは
前編とは絶対に違ったと思う。
とくに藤原君がすごくよかった。
前編では、自分のやってることに手応え感じてるのか疑問でしたが、
後編は、確実に役をつかんで自分のものにしてました。
あれだな、ムービーガイドブック2のインタビューで、藤原君自身、
漫画の台詞をそのまま持ってくると実写では浮いてしまう、
だから映画は映画としての台詞を考えた、と言ってましたが
それがよかったんだと思います。
前編の藤原君は、原作のファンということもあり、
原作の月を大切にして月に近づこうとして、でも映画の脚本は
(じつは後編より前編のほうが)オリジナルの要素満載だし、
じっくり役を練る時間もないしで、結果、半端だったんじゃないかなあ。
きっと本人も自分の演技に満足してなかっただろうと思う。
そこできっちり軌道修正してくるあたりさすがですが、
藤原君が原作月への憧れを捨て、彼自身としてまっこう勝負することで、
逆に初めて原作月の持つ確信的な危ない強さ、傲慢さ、
服や仕草に特徴はなくても滲み出る月の存在の鮮やかさを
表現できたんだと思います。
藤原君は、月の役と、主演であるこの作品の現場を愛してた。
ベタ褒めだな私
だけどさ、なんだかんだいって主役が輝いてメインはってないと、
脇役も輝けないからさー。

そしてもちろん松山君のLも、す、す、すばらしかったです!!
松山君はね、藤原君とは逆にたぶん前編の最初から後編の最後まで、
いかに自分を消しLになりきるかだけを考えて演じていたと思います。
新人だからそれでいいのさ
そしてLという存在がまた、あの特徴の固まりのような外面に比べ、
内側は、どこまでも空虚で自分自身も自分の正体を振り返らないような
キャラなので、松山君の、Lと心中するような作りによって、
その存在をリアルにしていけたんだと思います。
自分で月を飲み込み月になっていく藤原君、
自分をLに捧げてLになっていく松山君、
そしてお互いを感じることでさらに自分を進めていく。
萌え
失礼
前出ガイドブック2の松山君のインタビューで、脚本上の月とLとの
駆け引きの裏で、役者二人の駆け引きを感じたと彼もいってましたが
ほんとにそれはすっごく感じてわくわくしました。
役者はアレが役者やめられない醍醐味で、アレを近くで
ナマで見れるのが、演出やめられない醍醐味だよなー(笑)

そしてやっと具体的な内容の話になるわけですが(まだ書くのか)
ああ書くさ 仕事大変だけどいまは書くのさ
ここから先は重大なネタバレがあるので大丈夫な方のみ読んでください。

上でもちょっと書きましたが、後編はオリジナルストーリーと言いながら、
じつは前編よりもずっと原作を活かして作られています。
高田清美をさくらTVのサブキャスターとし、原作ヨツバをさくらTVに
置き換え、高田にヨツバキラと原作魅上照の役まわりを同時に与えて、
原作第一部の終わりと第二部の終わりを繋げています。
月の監禁、一時的な白月、第三のキラ確保でキラ復活の流れは
原作どおり。それから月があえてミサを危機に追いやって、
死神レムにミサを救わせ、Lの名をノートに書かせるのもそのままです。
その後、Lに勝ったと確信した月は、後始末としてミサのノートに
父の名を書く。ところがノートはミサも気づかなかった偽物で、
書き込む場面は密かに監視されていた。
いっぽうLは、レムによって殺されたと見せながら、じつは事前に
みずからの名をノートに記し、23日後に死期を設定しておくことで、
レムのノートによる死を無効にしていた。
そして、月が正体をつきつけられ、みんなに否定され、
リュークによって命を奪われるのは、また原作と同じ展開です。
ただし、父総一郎は生きていて、月は父の腕の中で息を引き取ります。
自分の正しさを主張したまま。
そしてLも、ノートのルールに従って、やがて一人安らかに旅立ちます。
最後の最後、総一郎とかわす会話で、唯一、
Lの人間的な面が見られます。
この場面は印象的でした。
クライマックス、月が原作に似た狂気の弁舌をふるう場面が
あるのですが(藤原!と大向こうから声をかけたくなる熱演です)、
ここで月はLに向かって、原作にはない台詞を言います。
「ずっと部屋に籠もってばかりいる君にはわからない、リアルな世界は、
こんなに汚れて悲しみに満ちているじゃないか」
(後半うろ覚え)
コレは絶対いれるべきだと金子が主張したに150円賭ける。
だけどすっごく、実写デスノでやる意味を感じた、いい台詞でした。
映画の月の描き方じゃないと、この台詞は出てこないと思う。
いっぽうLは、映画では、人の命をゲームのコマのように捉える
人間に描かれるので、月の指摘は痛いはずです。私見では、
Lがみずからの名をノートに書いてしまったのも、
正義とか世の中とか信念じゃなく、キラとのゲームで勝ちを揺るぎなく
するために、みずからの命をコマとして、王手をかけたかったからだし。
だけれども、LはLで、そのようにしか生きてこられなかったのだろうと、
最後の総一郎との会話でふっと感じさせるところはうまい。
ずっとLに対して否定的だった総一郎が、最後にLにかける言葉は、
筋だけみれば映画を締めるためのキメだよな、と
いっぽうでわかってるんですが、ファザコンフィルターオンになってると
感動しちゃう(笑)
原作Lファンの悲願であった、Lによる月=キラとの断定、
Lの勝利(といえないまでも相打ち)を見たあとなので、
胸のすく思いも残ってるしね。

ミサとか高田役の片瀬さんとか女性陣については
きっとどっかでいろいろ感想書いてもらえると思うので割愛します。
ミサ暗いけど一生懸命やってるのは伝わってよかったよ。
戸田恵里香さんは私の部屋の上に住んでる奥さんに似てる
そんなこと死ぬほどどうでもいいね。

ああ、アニメは結局忙しさもあって二週間何も書けてないのに
実写ネタならいくらでも書ける。
書きすぎじゃね、いい加減原稿に戻れと心の声が聞こえてきたので
最後に総括的にもう一つだけ。
前編に比べ飛躍的によくなった後編ですが、それは作り手側の
作品への愛情、思い入れのおかげだと思います。
では、その作り手の愛情を生み出した源は何かといえば、
前編の商業的大ヒットだったと思うのです。
売れてダメになる作品もありますが、ぶっちゃけ、クオリティ以上に
売れることが、いい意味で作り手に自分を肯定させ、結果として
内容をも押しあげることもあるんだよね。
それは、映画に限らなくても。

地元でも長くやるだろうし、じつは前売り券まだ持ってるので
(ほんとあれだけ文句いってそれかよどんだけデスノ好きなんだ)
仕事一段落したらまた行きます。
あ、あと、こんなにデスノデスノ書きくるってるけど、
「父親たちの星条旗」もいい映画だよ……地味だけどお薦め。
さー仕事仕事ー


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